ワタシが大変お世話になっている方のエッセイです。素晴らしい内容なのでシェアいたしますね🌈
直観を磨く
=====
種の保存という本能で動物が生きるための勘、それは“直感”です。
そして、人間には他をも生かすという本能もあって、その本能が全開した時の最高判断力を“直観”といいます。
ところが今の環境では、本来備わっている能力に気づいて磨くということに注意を向けないと全開しないんですね。
磨くというのは、自分のなすべき行為にまず専念すること。
ダイアモンドをカットする人はカットするだけです。
磨くプロになるにはその道の専門家に弟子入りして、まずカットの方法を知る。
次に分かるようになるためにやってみる。
試行錯誤しながらやっているうちに、できるようになる。
体得するには知識だけではなく、習って慣れることを繰り返して習慣にしないと、自動にならない。
たまにひらめきが当たった時「わぁ、すごい。これが直感だ」ってトピックスにしがちですね。
でも、これはまだまだ磨く余地があるということです。本当に直観で生き始めたら、全ては当たり前のことが起きるだけ。
情報をシャットアウトしても、ひとりで生きられます。
自らを生かし、他をも生かすという人間の自然の摂理から逸脱しなければ、完全調和の天然のサイクルが自動的にまかなってくれます。
目に見えないインパルスをキャッチすれば、命に関して分からないことは何もないんです。
例えばテレビ。アンテナから受信しますが、アンテナ
が鈍っていて混線したピンボケ状態では画像は分からない。直観は能きません。
そのアンテナを磨くには、まず肉体をきれいにして、意識を目覚めさせておくことが大切です。車だって車検に出して整備するでしょう。
肉体というメカニズムをきちんと整備しておかなければ、意識も目覚めません。
肉体がボロボロでも、精神や意識のことばからやりたがるんですね。
あくまでも健全な精神は健全な肉体に宿り、それから、健全な精神が健全な肉体を創り続けます。
瞑想もヨガもテクニックですから、メカニズムがフル活動できる状態にしておかなければテクニックは駆使できません。
テクニックが本質ではなく、駆使できた時の「その状態」が本質です。
太陽とともにすっきり目覚め、月とともによく眠る。
有り難く粗食小食、腹八分目の医者要らず。お陰さまの暖気暮らし。
日本人としてのDNAをフルオープンにすれば、量子的な微細な波動をきちんとキャッチできます。
今の時代、人々はきちんと感じるということをしていません。
五官を通して感じるというのは、まだ言葉になっていない状態のことです。
感じたものが言葉に置き換えられて心で思い、考えるという作業を脳でします。脳は肉体の一部で、全体を管理しています。
考えて考えて悩んで脳が疲れ切るので全体が分からず、ほとんどの人は自律神経失調症です。
肩凝り、冷え、便秘、睡眠障害。神経系が働かないと、肉体も精神も鈍ります。
総合的なものを磨かないで、直観だけ磨こうとしても無理ですよ。全体なのですから。
精神的に生きたいと思ったら、肉体を健全にして、感じることに意識を向けることです。
誰かの言葉で嫌だと感じた、という人がいますが、正しくは嫌だと思ったのです。
ここにズレがあるんです。
感じるというのは微細なインパルスの価値全体をキャッチすることで、快いとか嫌だとかは“思う”という「私考」のことです。
嫌だという情報の重ねの私考です。
言葉の言い回しや立居振舞いというのは外側の表現、つまり役者の演技のようなもの。性格も表現のひとつです。
あの人がこう変わってくれたらと思うのは、表現方法が変わってくれ、と言っているだけのことです。
“聞く”という漢字は門構えの中に耳がありますよね。
これは、聞きたいことに門を開いて、聞きたくないことには門を閉じるという意味。
聞きたくないことにも耳を傾けるようになると、
それは“聴く”となって耳で徳をつむことになり“効く”となり、更に“利く”となって、すべて解る、見えるようになるのです。
目利きというのは、本当の価値を見通せる能力のこと。
これが直観です。
多くの人は自分の思いに全て集約されていて、感じる深さを見逃しています。
インスピレーションをしっかり捉えずに、思いつきで行動しがちです。
例えば、癌を治す名医の話を聞くと、不安という思いからすぐに行ってしまう。
外側の情報で反射的に動いてしまって、感じた感覚という内側の情報を熟知しませんね。
名医と自分との相性は感じた深さにかかっているんです。響振響鳴があったかどうか、同調が起きているかどうか、内なる声を聴いて感じて下さい。
響き合う調べ、調和というチューニングこそが、直観が能く鍵なのです。